虐待と母親と距離感について
どこで起きたかのは忘れてしまったけれど、次男を床に叩きつけた罪で母親が逮捕されるニュースがあった。
次男はまだ11ヶ月。
三つ子の真ん中。
母親は次男が泣き止まないことに腹を立て反抗に及んだのだという。
私はこのニュースを聞いて「ああ、仕方ないな」と思ってしまった。
三つ子、男の子、11ヶ月。
そんなの、魔境じゃないか。疲れも祟って瞬間的に凶行に及んでしまったのだろうと。
たぶん、私が子供を産む前ならば、真っ先に「お腹を痛めて産んだ子を叩くなんて信じられない!!」と憤慨しただろう。
また、こうも思ったに違いない。
「虐待する人間が子を産むな」とも。
けれども、お産を終えて母となった今、私は虐待された子よりも逮捕された母親に同情している。
そして、私は今まで虐待というものを誤解していたのではとさえ思う。
育ちとか
性格などではない。
誰しもが虐待の加害者となりうる状況にあるのだ。
育児は楽しいという人もいるけれど、作業として捉えるとかなりの重労働だ。
満足に眠ることも出来ない。
食事はおざなり。
下手をするとトイレにもいけないし、体調が悪くなっても育児を休むわけにはいかず、療養もままならない。
それに、赤ちゃんも生き物なので、サークルを嫌がって泣く、お風呂が嫌だと泣く。ティシュを撒き散らす、お茶をわざとこぼすなど……とにかく黙っていることがない。
顔を噛まれたり引っかかれたりは日常茶飯事だし、とにかく一日中子に振り回されている。
リフレッシュしようにも簡単に預け先が見つかるわけもなく、子をつれて外出するも、迷惑がられることもしばしばある。
「子育て中だし!!!」
と開き直ることができれば強いんだろうけど、なかなかそうなれないのが人間。
泣かないかしら
とか
うるさくないかしら
とか
周りを気にし始めるとお出かけどころではなくなってしまう。
そりゃストレスも溜まる
疲労も溜まる
そして、溜まりに溜まったそれらはいつしか母親から冷静な判断力を奪ってしまう。
抑制していた感情が一気に溢れ、暴力として我が子に降りかかってしまう。たとえ母親がそれを望んでいなくても。
ほんの少しでいいから、母親に休息があれば、もしかしたら防げた虐待があったかもしれない。
話は変わるが、私は独身の頃、一人でカフェに行くのが好きだった。
平日の昼間。
パソコンを持ち込んで、ドリップコーヒーを飲みながら煙草を吸って小説を書いた。
または、散歩。
耳にイヤホン挿して音楽を聴きながら歩くのが好きだった。
同人誌を作って即売会に行くのもすきだし、とらのあなやメロンブックスで薄い本を買うのも好きだった。
けれども、母親になってから、もうそのほとんどが出来なくなってしまった。
いつか子供が大きくなって上記のことがまたできるようになったとしても、それはもう違うものになってしまうだろう。
虐待をしてしまった母親たちも
もしかしたら、独身の頃は私と同じようにカフェに行くのが好きだったかもしれない。
映画を見たり、ショッピングに行くのが好きだったかもしれない。
子供を持つまでは、
どこにでもいる女性で、それなりに人生を謳歌していたのだろう。
彼女たちは、ただの人だった。
だからこそ、私は怖い
もしかしたら、感情に任せて虐待をしてしまうのは、次は私かもしれない。